大阪は1945年1月9日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。
1945年3月13日 大阪大空襲 B29・279機。死者3115名。焼失13万2459戸。
6月1日 B29・474機。死者3150名。焼失6万戸
6月7日 B29・250機。死者1594名。負傷者4967名。焼失5万6千戸。
6月15日 B29・469機。死者418名。負傷者1842名。焼失4万9千戸。
6月26日 B29・約100機。死者592名。負傷者1102名。焼失約9千戸。
7月24日 B29・約400機を含む大小二千機。死者187名。負傷317名。焼失554戸。
8月14日 B29・約100機。死者173名。負傷89名。焼失二千戸。大阪城にあった砲兵工廠が目標であった。
神戸
神戸は1945年1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。
1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。
京都
京都は1945年1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出した。
1945年1月16日 死者41人
3月19日
4月16日
5月11日 京都御所へ空襲。
6月26日 死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名
1944年6月15日 八幡空襲
10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
10月25日 大村大空襲。当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
11月21日 熊本初空襲
1945年3月
1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しれの日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
3月27日 小倉大空襲
鹿児島初空襲 軍事施設中心。
1945年4月
4月8日 玉野空襲
4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
日付不詳 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。
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1945年5月
5月10日 徳山空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千~1万人にのぼることが確実と考えられている。
5月31日 台北大空襲 日本統治時代の台北市、死者約3000人。
6月10日 日立空襲 死者1200人。
6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。
6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[1] 死者1600人。
6月28日 呉大空襲
6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
6月29日 岡山空襲 B29・約70機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
7月1日 熊本大空襲
7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3700人。[2]
7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月4日 高松空襲 B29・90機。死者1359人。罹災人口86,400人。罹災家屋18,913戸。
7月4日 徳島大空襲 B29・100機 死者984人 けが人は2000人以上 市の60%が焦土と化した。
7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1679人。
7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1027人。全焼17,920戸。
7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6000発の焼夷弾爆撃。2358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1193人。
7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1576人。
7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2199人。
7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1181人。
7月24日、28日 津大空襲 死者1239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[3] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。青函連絡船第2青函丸、第3青函丸、第6青函丸、翔鳳丸、飛鸞丸が航行中に撃沈された。
7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。
8月1日 水戸空襲 B29・99機。死傷者1535人。
8月1日 八王子空襲 B29・169機。死傷者2900人。
8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1470人余。焼失11,986戸。
8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
8月5日 前橋・高崎空襲 B29・92機。死傷者1323人。
8月6日 広島原爆
8月7日 豊川海軍工廠空襲 死者2477人。
8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
8月9日 長崎原爆
8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
8月10日 花巻空襲、熊本空襲
8月11日 久留米空襲 死者212人。焼失家屋4506戸。
8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機による空襲。
8月14日 熊谷空襲 B29・82機。死傷者687人。
8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 小田原空襲 死者30~50人。
8月14-15日 土崎大空襲 B29・132機。死傷者300~400人。最後の空襲。
1945年頃の日本軍は性能の低いレーダー「電波警戒機甲型」を使用しており、空襲を察知し迎撃に向かう頃には空襲が始まっていたり、既に帰還中であったりした。ドイツから技術供与された高性能対空管制用マイクロ波レーダーであるウルツブルグレーダーは輸入品以外になく、最後まで国産化できなかった。 日本軍機の性能は低く、高高度戦闘を視野に入れず設計されていたため、B-29の高度(約1万m)まで上昇すると零戦では浮くのが精一杯でまともな操縦は行えなかった[4]。他の機体でも高高度を400キロ近くで飛行し尚優れた迎撃システムを持ち、ベテランパイロットの搭乗するP-51などに護衛されたB-29を迎撃するのは極めて困難であった[5]。そこで震天制空隊と呼ばれる体当たりによる空対空特攻を行い決死の防空を試みたが、戦果は乏しいものだった。日本軍はB-29に対抗し得る高高度迎撃機の開発を急ぎ、終戦時には試作局地戦闘機震電、ロケット迎撃機秋水といった高性能戦闘機が生産直前に入っていた。
調査団体によってばらつきがあり、23万~55万人程度と考えられている。
死傷者数(単位:人) 調査団体 合計 調査年数
東京新聞 558,863 1994年
建設省戦災復興史 336,738 1957年
戦災都市連盟 509,734 1956年
経済安定本部 299,485 1949年
第一復員省 238,549 1957年
米国戦略爆撃調査団 252,769 1947年