2009年12月17日

沈黙

『沈黙』(ちんもく)は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。1966年に書き下ろされ、新潮社から出版された。江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。第2回谷崎潤一郎賞受賞作。この小説で遠藤が到達した「弱者の神」「同伴者イエス」という考えは、その後の『死海のほとり』『侍』『深い河』といった小説で繰り返し描かれる主題となった。世界中で13カ国語に翻訳され、グレアム・グリーンをして「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価される。

島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。

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長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。

神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。

2009年12月01日

香港では犬食に嫌悪感の強い英国の支配

香港では犬食に嫌悪感の強い英国の支配を受けたため、犬は「猫狗条例」により保護され、現在も犬肉の流通が解禁されていない。2006年12月22日に、香港で4人が禁を破って犬食を行ったため刑務所へ30日間拘留された事件があった。
台湾では香肉という呼び名で好事家の食文化として存在していたが、2001年1月13日に、犬、猫を食用目的で屠殺する事を禁じる動物保護法が施行された。2003年12月16日には改正され、販売も罰則対象に含まれるようになった。これ以降、それまでの犬肉料理店の多くは羊肉料理店に変わったが、客の需要に応え犬肉を羊肉として売っていた羊肉料理店が摘発されるという事件が度々起こっている。

なお、グァルティエロ・ヤコペッティ監督の1962年の映画作品『世界残酷物語』での一幕に台湾の犬食屋なる大衆食堂が出てくる。食用犬にされる犬が檻に入れられており、それを見ながらお客が食事をするのである。
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韓国では犬肉を「ケゴギ」、北朝鮮では「タンゴギ」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。朝鮮でも狗肉は新石器時代から食用とされている。犬料理は、滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。黒犬には時別効能があるとされる。

かつては庭先で人糞を犬に食べさせて飼育していた。犬を人糞で育てる習俗はモンゴルにもあるが、ここでは逆にゲルの成員の糞を与えて育てた犬を、ゲル周辺を警備し、余所者の侵入を防ぐ忠犬として養育するという要素を持つ。また、食肉家畜を人糞で養育するという概念自体は、日本や中国など世界に広く見られ、人糞養豚との共通性が指摘できる。韓国では駄犬のことを「トンケ」と呼び、野良犬のことを「ドゥルケ」と呼ぶ。また駄犬のように丈夫に育って欲しいという意味を込め、「トンケ」と孫や幼い子を呼ぶ言葉として使われていた。

2009年11月27日

パッシブ・ソナーの種類

パッシブ・ソナーには、潜水艦艦首ソナー(アクティブ式共用)や、潜水艦曳航式のS-TASS、駆逐艦曳航式のTAC-TASS、音響測定艦曳航式のSUR-TASS、海底ケーブル式のSOSUSなどがある。

潜水艦艦首ソナー
潜水艦ではパッシブ・ソナーは、減速機やスクリューなどの騒音源から離れた場所で、進行方向でもある艦首(バウ)付近に設置される。艦首部分にアクティブ・ソナーと共用で送受波器多数を球状に配置し、個々の受波器が受ける音波の感度差や時間差から、音源の方位を三次元的に計測することができるようになった。
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TASS
航走中に艦尾付近に設置したウインチから長いワイヤーに取り付けられた多数の受波器により構成されるTASS(Towed Array Sonar System、曳航ソナーアレイシステム)を後方に繰り出して、自らによる騒音の影響の少ない離れた場所で音を捉えたり、艦体の受波器との間で長い距離(基線長)を稼ぎ、水中音波の到達時間差による測距の精度を高めたりすることができる。曳航ワイヤーが艦尾スクリュー・プロペラに巻き込まれないように曳航時にだけシース(鞘)が船体から伸ばされる構造のものが多い。

設置位置による名称など
船底に設置するハル・ソナー、艦首に設置するバウ・ソナー、艦尾から水中に下ろすか曳航する可変深度ソナー、などがある。

2009年11月13日

旋法

旋法(せんぽう、モード)とは、旋律の基礎となっている音階や、その音階に基づいて旋律を作るときの作法のことを言う。元来、ある曲を構成し演奏するための元となる、外見上は、数種のスケール(音階)と同様の、1オクターブ内の音の配列のこと。その場合、無数に存在する様々なスケールと区別すべく、いくつかの限定されたきまりがある。

現在ある体系とほぼ同様の形に成立したのは、中世以前に成立した教会旋法からといわれているが、その起源は、古代ギリシアの時代まで遡るともいわれている。

1950年代終わりから1960年代に入る当初、マイルス・デイヴィスなどによって、研究やトライアルの末、積極的にジャズにも取り入れられ、特に即興演奏(アドリブ)に効果を発揮した。
ビバップやハード・バップからモード・ジャズ中心へと移ることにより、それまでの「劇的ではあっても、和音進行(コード進行)から導き出されるスケールの限界」、または、「和音の構成音に縛り付けられパターン化されたフレーズ作りやアドリブ」から開放され、モード奏法の確立によって、「地味に陥る危険性をはらみながらも、自由な発想でアドリブ演奏ができる」ようになったといえる。
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現在、コンポージット・モードを除けば、モードと呼ばれるものは7種類あり、大きく分けると「長旋法」と「短旋法」とに分けることができる。しかし、実際にはそのバリエーションも多い。また、使用頻度の少ないもの、モードジャズ以外のポピュラー音楽で(スケールとして)用いた場合に、対応性のあまりないものや、違和感のあるものも含まれる。

2009年11月02日

雪崩による大きな災害

雪崩の発生は数多いが、そこに建築物か人の通行がなければ被害はおきない。例えば、日本における雪崩被害発生数は通常、年間10件以下である。2003年は件数5、家屋被害3、死者1、負傷者4だった。

なお、日本における、大規模な雪崩の被害は以下ようなものが挙げられる。

1918年1月9日 新潟県南魚沼郡三俣村(現在の湯沢町)で泡雪崩が発生。集落が襲われ158名の死者を出した。記録に残っているうちでは日本で最悪の雪崩被害。
1922年2月3日 新潟県青海町(現在の糸魚川市)の北陸本線親不知・青海間で、雪崩が発生し通過中の列車の客車2両が巻き込まれ脱線転覆した。死者90名。
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1938年12月27日 富山県下新川郡宇奈月町(現在の黒部市)の黒部峡谷(志合谷)で泡雪崩が発生。黒部川第三発電所建設にともなうトンネル工事現場の宿舎(鉄筋・木造合い作り)の木造部分が600m以上も吹き飛ぶ。死者84名。
1986年1月26日 新潟県能生町(現糸魚川市)権現岳中腹から23時ころ雪崩が発生。柵口(ませぐち)集落を押し流す。死者13名、重軽傷者9名、家屋全半壊13戸。柵口地区の隣の田麦平地区での観測によると発生当時の一日の降雪量は75cm、積雪深は370cmに達していた。その後も雪は降り続き2月7日にはついに600cmに達したと記録されている。
1995年1月4日 長野県中央アルプス駒ヶ岳の千畳敷カール付近で、登山客6人が雪崩に巻き込まれ全員死亡。

2009年10月23日

外部資本の調達方法には

外部資本の調達方法には、(1)銀行等の金融機関からの借入れ、(2)新株発行、(3)社債発行などの方法がある。借入れ(間接金融)は、資金を機動的に調達できる方法であり、実際に広く用いられているが、返済の必要があり、また担保を要求される。これに対し、新株発行や社債による資金調達(直接金融)は、低コストで、広く多数の者から巨額の長期資金を集めることができる方法である。

銀行借入れや社債は、一定の弁済期(償還期)までに元本・利息を弁済(償還)しなければならない債務(デット)であり、貸借対照表上は負債の部に計上される。一方、株式は、会社にとっては償還や配当の義務を負わない自己資本(エクイティ)であり、貸借対照表上は純資産の部に計上される。債務と株式は、次のような点で異なる。
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債務の場合、債権者(銀行、社債権者)が受け取るキャッシュフロー(利息)は契約で確定しているのに対し、株主の受け取るキャッシュフローは事前に確定しておらず、会社が債務を支払った後のすべての財産が株主に帰属する。そのため、投資者から見て、株式による投資はリスクが大きいと同時に事業が成功した場合は大きなリターンを期待できる。
債務の場合、弁済期に支払がされないと債務不履行(デフォルト)になるのに対し、株式の場合には、債務不履行が生じることはない。
株主は、会社の社員であり、株主総会における議決権など、各種の経営参加権・経営監督権を有する。

2009年06月22日

未来学(英: Futurology)とは

未来学(英: Futurology)とは、歴史上の状況を踏まえて未来での物事がどう変わっていくかを詳細に調査・推論する学問分野である[1]。Futurology という言葉は本来未来研究を意味する[2]。ドイツ人教授 Ossip K. Flechtheim[3] の造語であり、1940年代中盤に確率論に基づく新たな学問を提唱したものである。

時間を直線に喩えると、未来は時間線の中で未だ起きていない部分を指す。すなわち、未だ起きていない事象の存在する時空間である。その意味で未来は過去(既に起きた事象と時間の集まり)の反対であり、現在(今起きつつある事象の集まり)の反対でもある。未来学者とは、そのような未来を見通し、何らかの分析を試みようとする人々である。未来学は様々な文化的文脈の中では異なる用語で呼ばれる。foresight、未来派(futurism)、prospective、futuribles(フランスでは雑誌名でもある)、prospectiva(ラテンアメリカで使われる用語)などである。英語圏では future study(未来研究)が一般化しつつある。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

未来学者は、ありうべき未来を予測するべく Strategic Foresight(戦略的洞察)の適用を試みる。現在の傾向から未来の状態を予測するのが典型的な方法論だが、逆に想定される未来をもたらすには今どうすべきかを考える backcasting の手法もある。例えば、Global Scenario Group は backcasting の方法論に基づいて、Policy Reform(政策改革)と Eco-Communalism(エコ共同体主義)のシナリオを立案した。未来研究を実際に行っている人々は自らをフューチャリスト(futurist)と呼ぶ。

現在のような学際的性格の未来学あるいは未来研究は、1960年代中盤の初期の未来学者、Olaf Helmer、Bertrand de Jouvenel、ガーボル・デーネシュ、Oliver Markley、Burt Nanus、Wendell Bell らによって確立された[4]。未来研究は、現在の選択が将来にどう影響するかを研究するものである。予測を行い、ありうべき未来を描くため、変化と安定の源泉・パターン・原因の分析を試みる。未来研究の対象と方法には、現在についてのありうる変化、もっともらしい変化、望ましい変化、その他の変化の社会的側面と自然的側面が含まれる。未来研究は多角的に未来を予測する。学問分野としては未だ若く、概念や方法論も確立しているとは言いがたい。デニス・メドゥズの成長の限界は、起点としては適している。多くの企業が未来学の成果を長期的な成長に関する戦略立案に役立てている。教育という観点では、アメリカ合衆国で1960年代に始まり他の国々に広がりつつある。教科としての未来学は、学生が長期的なものの見方ができるような概念・ツール・プロセスを学習させる。

2009年06月05日

宇都宮(うつのみや)氏は日本の氏族

宇都宮(うつのみや)氏は日本の氏族。摂関家藤原北家道兼流を称する大族。下毛野氏、中原氏の流れを汲むともいわれる。

藤原氏一族の藤原北家の藤原道兼の曾孫を称する[1]藤原宗円が、源頼義、義家の奥州安倍氏討伐(前九年の役)での功により宇都宮(現・栃木県宇都宮市二荒山神社の別称)別当職に任じられ、宗円の孫の宇都宮朝綱から苗字(名字)として宇都宮氏を名のる。しかし『宇都宮市史』や『姓氏家系大辞典』では、宗円を藤原道兼の子孫とするのは後世の仮冒で、宇都宮氏は中原氏の出、あるいは古代の毛野氏の後裔と想定している。ただし現在の通説では、藤原宗円の子の中原宗房の中原姓とは宗房の母方の姓で、母方の中原氏が藤原宗円の子種を育てたということであり、毛野氏説についても、毛野氏の女が藤原氏の子種を産んだとされ、中原宗房は、母方の中原の家を継いだことから家系上は中原氏だが、藤原宗円の子ということで血筋(男子血統)は藤原氏とされている

宇都宮氏は下野国が本貫であったため、各地の庶流に対してしばしば下野宇都宮氏といわれることもある。下野国一之宮名神大社であった宇都宮二荒山神社座主および日光山別当職等を務め、紀清両党を率い22代・500年に亘って下野国、さらには日本国土の治安維持を司った名家。国司や守護も歴任し、現在では戦国大名とも評されている。

源頼朝をして「関東一の弓取り」と言わしめた宇都宮朝綱は第3代宇都宮氏当主である。また第5代宇都宮頼綱(藤原頼綱)は武人で奥州藤原氏討伐にも功績があったが、鎌倉幕府から謀反の嫌疑をかけられたのを機に法然に帰依して出家、実信房蓮生と号して京に隠棲して宇都宮歌壇を確立した。京都嵯峨野の小倉山麓の庵に住まい、その襖色紙には親交があった藤原定家によって選じられた首歌が書かれ、これが小倉百人一首の起源として伝統文化に受け継がれている。浄土宗を信仰した頼綱は、京常盤、桐生、宇都宮に念仏堂を建立し、現在もそれぞれ入逢山西方寺、梅田山西方寺、芳宮山清巌寺に受け継がれている。頼綱は幕府から許された後の1215年には園城寺(現在の三井寺)再建に尽力し、その功によって伊予国守護に任じられた(1220年頃~1235年頃)。

鎌倉時代中期、第8代宇都宮貞綱は元寇の際、鎌倉幕府による討伐軍の総大将として九州に赴き、これに勝利すると鎌倉幕府引付衆に任じられた。貞綱は亡母の13回忌に全国的にも珍しい巨大鉄製塔婆を奉納した(宇都宮市清巌寺蔵:国の重要文化財)と言われている。

鎌倉時代後期に河内国で楠木正成らが挙兵すると、第9代宇都宮公綱は討伐軍に参加するが、幕府滅亡後に後醍醐天皇の建武の新政がはじまると雑訴決断所を務める。足利尊氏が鎌倉で新政から離反した後も公綱は南朝方として動いたが、子の10代宇都宮氏綱は足利氏に属した。足利家の内紛から発展した観応の擾乱では尊氏方に就いた氏綱が武功を上げ、尊氏の意向で下野・上野・越後国守護職を務め、北関東での支配的地位を磐石なものとした。ところが、尊氏が死ぬと鎌倉公方であった足利基氏(尊氏の子)は自分の腹心でありながら観応の擾乱では尊氏と敵対した前上野・越後守護職上杉憲顕を強引に関東管領に復帰させた上に、上杉憲顕が上野・越後守護職を氏綱から強引に返還させようとして氏綱がこれを拒むと、基氏は関東管領への反抗を理由に氏綱を追討した。宇都宮氏には引き続き下野守護職が残されたものの、鎌倉公方の理不尽な方針に不満を抱かせ、室町幕府直属の京都扶持衆に加わって鎌倉公方に対して抵抗を続けながら勢力挽回を図った。
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戦国時代末期には戦国大名となり将軍家足利氏の弱体化に伴って関東に台頭した北条氏と対峙した。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻撃で北条氏が滅亡し、宇都宮氏は下野国18万石の所領を維持した。宇都宮国綱は1592年の朝鮮出兵にも参陣し、帰還後は豊臣姓を賜り従五位下に任じられたが、1597年、突然改易され備前国配流となり、1608年に江戸浅草の石浜で失意のうちに病死する。これにより、22代・500年に亘って繁栄した関東の名門・宇都宮氏は歴史の表舞台から去ることとなった。

改易の理由は、太閤検地の為に派遣された浅野長政に石高不正を訴えられたことや、浅野長政の2男・長重と宇都宮家の養子話のこじれがあった等と言われている。さらに関ヶ原合戦で東軍に組するのを国綱が拒んだため、豊臣政権崩壊後も家名の再興は認められなかった。

傍系として、常陸国守護小田氏や、三河国の出身で江戸時代には徳川家譜代大名として小田原を治めた大久保氏が祖と仰ぐ武茂氏がいる。

2009年05月02日

香辛料貿易

貿易はマニラのスペイン人移民に職を与えた。マニラ・アカプルコ・ガレオンは250年間(1565年~1815年)で合計110隻に達した。1593年までは、両港から毎年3隻ずつ以上の船が出ていた。マニラ貿易が非常に有利になると、セビリャの商人たちは自分たちの損失をフェリペに申し立てた。1593年の法律によって、両港から年間2隻ずつの運航に制限され、また両港に1隻ずつ予備船を置くとされた。武装護衛艦を付属させることは認められた。

こうした制限から、可能な限り大きな船を建造する必要が生じた(ガレオン船は当時最大級の船だった)。16世紀、ガレオン船は平均1700~2000トンで、フィリピンの木材で建造され、1000人の乗客を運ぶことができた。1368年に沈んだコンセプション号は全長43~49m(140~160フィート)で、排水量2000トンだった。ほとんどの船はフィリピンで建造され、メキシコで建造されたものは8隻にとどまった。マニラ・ガレオンは1821年のメキシコ独立で終焉を迎え、以後フィリピンはスペイン王の直接統治領となった。(1800年代半ばには、蒸気船発明とスエズ運河開通によってスペインからフィリピンまでは40日で行くことができるようになり、統治は容易になった)

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マニラ・ガレオンは香料諸島の香辛料、中国・東南アジアの磁器、象牙、漆器、絹製品を南米に運んだ。中でも中国産の絹織物が多くの割合を占めたため、アカプルコ行きの船は「絹船」と呼ばれることもあったという。日本が1638年に鎖国するまでは、日本との貿易もあった。積荷はアカプルコからメキシコを横断し、カリブ海に面した港ベラクルスまで陸送され、そこからスペイン財宝艦隊に積み込まれスペインに至った。この航路では、インド洋を渡り喜望峰を回るという危険な行程を避けることができた。喜望峰はオランダ制海権下にあった。スペイン人は、メキシコを横断するよりも、パナマ地峡の方が遙かに陸路が短距離で済むことを知っていた。彼らはパナマ地峡に輸送路を整えようとしたが、うっそうと茂るジャングルとマラリアに阻まれた。

ヨーロッパでは中国製品が珍重されたが、中国は自給自足していた。中国市場で求められた唯一のものが、サカテカスとポトシで産出するアメリカの銀だった。銀はアカプルコからマニラに運ばれ、マニラ行きの船を「銀船」と呼ぶこともあったという。新大陸の銀のおよそ1/3が、この航路で中国に運ばれたと考えられる。また、布教を目的とした宣教師が多く乗り込んでいた為、「ガレオン船は銀と宣教師を運んでいる」とも喩えられた。マニラから太平洋を渡ってアカプルコに着くまで、4ヶ月を要した。マニラ・ガレオンはフィリピンとメキシコ副王領の首都メキシコシティとを結ぶ連絡経路の中心だった。フィリピンのスペイン人の多くはメキシコの流れをくみ、また実際フィリピンにおけるスペイン文化はメキシコのそれに近い。メキシコ独立後も、米西戦争中を除いて、貿易は続けられた。マニラ・ガレオンは3世紀近くにわたり太平洋を行き来し、財宝、利益、文化をスペインにもたらした。

難破したマニラ・ガレオンは、カリブ海に沈んだ財宝船に次ぐ伝説といえる。1568年、レガスピ所有のサン・パブロ号(300トン)がメキシコに向かう途中で難破した。マニラ・ガレオン最初の難破であった。

アカプルコ・ガレオン、ナオ・デ・チーナとも呼ばれる。

2009年04月18日

農耕(のうこう)

農耕(のうこう)とは、ある共同体の食物供給の一端や全体、及び他の有用植物の需要を補うために、田畑に作物のもととなる種子、苗、球根などを植え、育て、継続的、及び循環的にその生産をあげていくための活動や実践。

農耕の起源については諸説あるが、今から約15000年ほど前、中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが最新の発掘調査で確認されている。またレバント(シリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)では、テル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。それ以前は採集によって野生の穀物や豆類を集めており、たとえばムギ類はアナトリア高原の南、ハブール川流域で野生種が利用されていた。

人類はそれまでの約300万年もの長い間、採集、狩猟、漁労などによって生計を立ててきたとされるが、それらとともに新たに農耕が始められた理由として食料難が一つの説としてあげられている。農耕は大量の水が要り、ついでその管理も必要となってくるため、河川周辺など、定期的に水の供給が得られる場所が農地として選定されることが多い。

農耕や土器の発明により、人類は計画的に食物を生産、そして貯蔵することが可能となった。食料の安定供給は多くの人口を養う事を可能にし、それまで家族・親族単位であった人類の社会形態は大きく拡大し、多くの人々が定住して社会生活を営む様になる。世界四大文明などの古代都市文明も農耕を基礎におき、大河川流域で大いに発展した。そして政治と経済、ついには国家の誕生へと至る事となる。
キンキ ツバター 夜の足音 きこう シーメー ミーンズ シャーク ニュピ 新秋柿 チャー インス 線香花火 オーピ スチーマー トレッチ ふくいく リバティプ リトミック ターメ スピーカー ノーシャ パラフィン ルコウソウ パルサー ギニョー ホウセン フォー ウォー でらいと ケット おおわ ハック バンクス レンテン ナンバー ゆうな トロイ パルテ フェースオ ゼラチン シャク ステレオ アーム マウンド ミゼラブル マインド スイング じょうめ メタリック 浦島太郎

さらに作物の管理や分配のための計算、気候の変化と農作業の日程を知るための暦法(天文学)、農地管理のための測量などが必要となり、これらが数学の基礎となった。

栽培
野菜・草花・樹木などの植物を植え、育てること。
園芸
生垣や建物などにより、周囲を囲まれた場所で植物を育てること。杉林や露地での畑作などは園芸と呼ばない。
有用植物
人間の生活にとって身近に必要で、役立つ食用・薬用・観賞用・工業用などの植物。
農作(耕作)
収穫を目的として、田畑にて有用植物を作ること。
農耕生活
農耕を生活の一部に取り入れて、暮らすこと。動物の飼養(牧畜)を含む場合もある。